LOGINそれから実習は、グループでののフィールドワークへと移った。
配られたリストを元に、指定された魔法生物を見つけ出し、生態を記録するという、地味な課題。「ええと、月光苔、発見。眠り蝶も、さっき見たわね」
うーん、魔力灯が暗くて見づらいわ。羽ペンでチェックを入れていく。
やっぱり、課題自体は面倒なのよね。でも、ちょっとだけ見直してしまったわ。やっぱり、虫は嫌いだけれど。
わたくしたちが暮らす王都のすぐ側に、こんなにも神秘的な世界が広がっていたなんてね。 すっかり忘れていたわ、昔はわたくしだって――。《幼い頃は、男子顔負けで、領地の森や野山を駆け回っておられたではございませんか》
ふと、あの執事のからかうような声が蘇る。
でも、そんなお転婆な自分は、もう、ずっと昔に、淑女というドレスの下に閉じ込めてしまったじゃないのよ。(いけないっ! いけないわ、ビーチェ。今は、感傷に浸っている場合じゃないのよ! ちゃんと意地悪しないと!)
そう、悪役を演じなければ! 離れた場所でこちらを見ているバージル殿下が、顎が外れて絶叫するほどに、悪い女になるのよ!
改めて決意を固めた、まさにその時だった。「先生! あちらの繁みになにかいます!」
ルチアの、ひときわ大きな声が響いた。
声のした方へ、近くにいた他のグループも、好奇心に引かれ何事かと集まってくる。 茂みの奥、小さな窪地にソレはいた。「まあっ! なんて愛らしいのかしら!」
「ったく。なんだよ、驚かせやがって」そこにいたのは、数羽のウサギの群れだった。
月光を浴びて銀色に輝く、純白の毛並み。宝石のようにつぶらな、赤い瞳がきょとんとこちらを見つめている。 そのあまりの愛らしさに、令嬢たちがうっとり。 にしてもルチアったら、本当にどんどん見つけていくわね。夜の森に慣れてるのかしら。「これは……シロガネウサギ。この辺りにも生息しているのは知っていたが……ムムム」
駆けつけた研究員が、首を傾げた。
「おや、何かおかしいのですか?」
そこに騎士のローラント殿が、すかさず問いかける。
「いや、ね。シロガネウサギは、このエイデン森にも生息する、ごくありふれた野生種ではある。だが……」
眉間に深い皺を刻み、ウサギたちを観察する一同。
「妙だな。野生のシロガネウサギは、もっと警戒心が強いはずだ」
「確かに。この群れは……少々、人に慣れ過ぎているように見える。普通のウサギなら、もう逃げているのではないか?」神妙に同意するバージル殿下。
確かに、ウサギたちは、わたくしたちが大勢で囲んでいるというのに、逃げるそぶりも見せない。 それどころか、一羽が、ルチアの足元に、こてん、と首を傾げてすり寄ってきた。「きゃぁああっ、可愛いっ! 大丈夫ですよ、先生。とってもおとなしい子たちです!」
生徒たちは、気にも留めない。
「まあ、可愛い!」「なんてお利口なのかしら!」と、その人懐っこいウサギたちに、すっかり夢中になっている。ついには、ツェツィーリア様までもが、普段の険しい表情を緩め、「まあ、なんて気品のある毛並みなのかしら」なんて、頬を染めている始末。
彼女がしゃがみこんで、そっと手を差し出すと、一羽のウサギがぴょんと跳ねて、手に鼻先をすり寄せている。(なによ! その優しさを、普段から一割でもわたくしに向けなさいよ!)
そんな光景にバージル殿下も、「まあ、害はなさそうか」と、諦めたようにため息をついた。
一方、わたくしは、ぷんぷんとライバルの変容に立腹。
(なによ、ツェツィーリア様! ! そんなだらしないお顔をされたら、わたくしの格まで下がっちゃうじゃない!)
和やかな雰囲気に、わたくし一人だけが、なんだか取り残されていく……。
(違う、違うのよ、ビーチェ! むしろ、これはチャンスじゃない!)
そうよ。皆が、あのケダモノに夢中になっている今こそ、悪役としての見せ場だわ!
(よーし! 頑張って、ムードを台無しにしちゃうわよ!)
わたくしは、彼女たちの輪の中心へと、わざと音を立てて歩み寄った。
浮かれた気分をぶち壊してやる!まず、スッと息を吸い込み。練習してきた嫌味を反芻してから舌に乗せた。
「まあ、皆様、はしたないですわ! 野生の獣に、あまり無防備に近づくものではございませんわよ?」
ピシリ、と場の空気が凍りついた。
侮蔑混じりに、声を張れば、あらあら、けっこう響くじゃないの。「いいですこと。そこのウサギが、どんな病を持っているかも分かりませんし、何より――」
バッと扇を開いて、口元を隠し。そこで一度、言葉を切る。
そして、集まった全員の視線が、自分に注がれていることを確認すると、氷のように冷たい笑みを浮かべて、こう続けたの。「――恐ろしい牙を隠していないとも、限らないのではなくて?」
しん、と森が静まり返れば。
……虫や鳥の鳴き声が不気味に存在を主張する。「また、貴女は人の心を踏みにじるようなことを! 純粋なものを愛でる心もないのね!」
真っ先に反応したツェツィーリア様は、怒りに顔を歪ませたわ。
(ええ、それでいいのよ! もっとわたくしを軽蔑なさい! まさにこれは『動物も愛せない、冷血非道な悪役ムーブ』よ!)
このまま、そこで見ているバージル殿下からの心情もぶち壊し! もう頭の中では拍手喝采。
ふふ、もう今夜は勝ったわね! まさに、わたくしの脚本通りの展開が始まったのだから!憤慨していると、イヅルは意地悪に口端を吊り上げて、ニュースペーパーを取り上げる。「――それはまさに、ベアトリーチェ伯爵令嬢が悪漢の手に落ちんとする、刹那。颯爽と現れたバージル殿下は、手勢の騎士団を率いて、賊を一網打尽にしたのであるっ」「や・め・な・さ・い! もう、わたくしの周りにいる大人って、本当に嘘つきばっかりっ! キーッ! どうして、誰も彼も正直に生きられないの!?」 本当、うんざりよ。すぐに、その気取った朗読を制した。 陰謀を打ち破った、騎士団を率いる若き王太子。 ささやかながらも、勝利に貢献したのは、またもや勇敢なる二人の令嬢。ベアトリーチェと、ルチア。「わたくし、己の心や在り様を、安っぽいフィクションにされて、楽しむ趣味はないのだわ」「ふむ。とは言え、貴族とは“多かれ少なかれ、多彩に人生を演出なさるもの”だと愚考しますが」「あのね、見てごらんなさいよ」 本日のお茶会は、中庭でのささやかなもの。暖かな日差し、色とりどりの花。なのに、わたくしの心は、ちっとも晴れやしない。 なぜかって? わたくしの目に映る、あらゆる景色が、嘘に塗り固められているように見えて仕方がないからよ!「ああ、なんてことでしょうね。たった二日で、あれだけ荒らされた庭が、何事もなかったかのように元通り。わたくし、我慢できる“多かれ”にも、限界があるのよ! わかる?」「ここは素直に。まずは夜を徹し尽力した、当家の庭師たちをお褒めになるべきかと」「そうね。ええ、そう、きっとね! でも、おかげで、わたくしの記憶が、おかしな妄言みたいじゃないのよ! ああっ、なんて皮肉なのかしら!」 つっけんどんに返す。 焼きたてスコーン、クロテッドクリーム、真っ赤な自家製ジャム。とてもじゃないけれど、そんなものを楽しむ気分にはなれなかったわ。「この紙面みたいに、わたくしにも“映える|脚色《クリーム》と真っ赤な|嘘《ジャム》を、スコーンに塗りたくれ”とでも言うのかしら」「そうつれない態度をなさらないでください。
「ですが……なにかの偶然という可能性はありませんか。たまたま本が落ちて、誰かが並び替えたとか。そう、それこそイタズラ、とか……」「信じたくないのはよくわかる。だが、ありえん。この状況下で、そんなイタズラをする馬鹿がどこにいる。私が、襲撃の報を聞いて、席を外した、ほんの僅かな間だぞ」「そう、ですね。……確かにタイミング的に、イタズラはありえない。しかし、だとすると……」 ローラントの顔が、絶望に染まる。 そうだ。即席の思い付きでは、ありえない。私の本棚に、どんな本があるかを把握してなければ、こんな真似は早々できんのだ。 故に、より恐ろしさが際立つ。「ですが、殿下。もしこれが、黒幕からのメッセージだとしたら、あまりに不可解です。なぜ、自分たちの標的を、わざわざ教えるような真似を?」「……わからん。だからこそ、不気味なのだ」 とんだ挑戦状だ。資料を焼いたうえで、この私に向かって、堂々とベアトリーチェ嬢を狙っていると、アピールしてくるとは。 もはや、「いつでも、貴様の身の回りの誰かを手に掛けられるぞ」と脅迫されているに等しい。頭に浮かぶ……大切な人々。「クク、ククク……。面白い」 不意に、乾いた笑いが、私の口から漏れた。 ああ、怖くてたまらない。怖いさ、たまらないとも! だからこそ、“僕”はシュタウフェン王家の次期後継者として、強く、振る舞わねばならなかった。「受けて立つぞ、正体不明の黒幕よ。このバージル・ファン・シュタウフェンが、この程度の揺さぶりで臆するとでも、思っているのならば――」 “僕”は自らを奮い立たせるように、そう宣言した。 それこそが、皆が、この国の未来を担う者に、求める姿なのだから。「必ず、後悔させてやるっ!」 臆病者には、誰も付いてこない。だから、“
「してやられた、な」 されど、そう悲観することもないかもしれない。 ともすれば、これは私が真実に近づいている証左なのではないだろうか。 少なくとも、“黒幕”はそう恐れた。私という男を。そう考えれば、この胸の屈辱も、少しは――。「……などと、思わねばやってられんな」 虚勢だ。吐くのは、自嘲のため息。いずれにせよ、ここにあった事件の調査資料は、灰燼に帰した。 まさしく、犯人の思い通りになってしまった訳だ。(ならば、シャーデフロイ邸への襲撃は、陽動だったのだろうか?) いや、待て。犯人のもう一方の目的は、この私自身の暗殺だったようだ。 ならば、奴らにとって、“標的の王太子バージル”がここにいなかったことは、予想外だったのではないか。 そうだ。だとしたら……、まだ、“僕”は負けてない。 思考が、すぅっとまとまり――ふと、見上げたそこには、本棚が。「バージル殿下?」 動きを止めた私に、ローラントが心配そうに声をかけた。 だが、今はそれどころではない。本棚の配列が、変わっている。太陽への道、通商勅令、ある若き騎士の迷い、聖オットーの双王国年代記……。「……ローラント」「はっ」「私に、シャーデフロイ家襲撃の報を知らせ、この研究室から連れ出したのは、お前だったな?」「はい、もちろんでございます! ……それがなにか?」「ならば、信じるとしよう」 おそらく、ローラントは“白”だ。彼の忠誠心は疑いようもないだろう。 だが、他の騎士は? このアカデミーにいる、ありとあらゆる人間は?「バージル殿下。いったい、なにを……」「静かにしろ。壁に耳あり、だ」 ただならぬ気配を感じ取ったのか、ローラントは息
私は、この不吉な艶やかな黒に、目を細めた。紫がかった妖艶な色彩に。「これも、あえて残された、のか?」「……おそらくは」 もはや、不可視の戦争。そんな渦中に、知らぬうちに巻き込まれている。 どんな仮説を立てても、決定的な証拠に、何も至らない。「殿下。他の場所でも、同様の戦闘痕が、複数発見されております。この痕跡は、道しるべのように……王立アカデミーの方角へと、続いておりまして」「なんだと?」 ますます、面倒なことになった。 我々は、何者かの手によって、誘われているのだ。 あらゆる情報が、先程まで我々がいたはずの、あの場所へと、導いていく。「……行くぞ」 辿りついた図書館。司書に確認を取れば、判明する不自然な|魔術警報《セキュリティ》解除。 それは己のいた区画、第7書庫。そこを担当しているはずの、司書補ルチア。 まさか、と思った。いるかもしれない。険悪な関係の……我が婚約者が。なぜかそんな予感がした。「――二人とも、無事かっ!」 急いだ先に広がっていたのは、信じがたい光景。 床に転がる、さらなる賊、四人。 そして。「ベアトリーチェ……嬢。それに、ルチア」 目に飛び込んだのは、およそ現実とは思えないちぐはぐな絵図。 片や、涙目でぶるぶる震え、立ちすくむ令嬢。 片や、頬に血糊をつけたまま、穏やかに微笑む、もう一人の令嬢。「これは、一体、何があったんだ?」 思わず、唖然としながら投げかけた問い。 二人は、顔を見合わせると、こう答えた。「「そこに悪い人がいましたので……?」」 まるで示し合わせたような言い訳に、覚えた眩暈。 ――これはきっと、疲労が見せた幻覚に違いない。***
あれは、嘘偽りなき真実なのだろう。 私はそう思った。 “一人の父親として、ただただ娘の身を案じております” 走り書きされた文字には、父親の悲痛な思いが滲んでいたように見えた。 だからこそ、だ。シャーデフロイ伯爵邸に駆けつけた時、目の前に広がる光景に、己の思考が凍りいたのは。 門は、半壊。巨大な獣がこじ開けたかのように、へしゃげて。 かつて、寸分の狂いもなく整えられていた庭園は、いくつものブーツ跡で踏み荒らされ、魔術によって焼け焦げていた芝生が異臭を放つ。 ――戦闘は、あったのだ。間違いなく。それも熾烈なものが。 甲冑を着た衛兵たちが、負傷した仲間を運び出し、怒号に似た声を張り上げる。 だというのに。「これはこれは、殿下。……こんな夜分に、お早いことで」 館の大扉から、悠然と現れた当主ウェルギリ伯は。 今しがた、極上の一瓶を開けたところだと言いたげに、ブランデーグラスをゆるり揺らしていた。 背後では、メイドたちが、ガラス片を手慣れた様子で片付けている。そう、淡々と。日常の一環のように。 箒が掃く、サッサッ、という乾いた音。(伯どころか。使用人たちの、この落ち着きよう。この異常事態に、まるで動揺していない。……これは、なんだ?) 違和感を飲みこんで、私は尋ねた。「……どういうことだ、伯爵。一体、何があった」「なあに、文でお知らせしたとおりです。小うるさい羽虫が、騒いでいただけのこと。既に、叩き潰しましたゆえ、御安心召されよ」「だが、そなたからの報せでは……令嬢がっ!」「おお、左様。それについては、誠に、そう、誠に困っておりましてな。いやはや、どうしたものか、と」 そこにいるのは、愛娘の危機に動転する父親では、断じてなかった。 平時と何ら変わらぬ、悠然とした『翼ある蛇』……父王が警戒して止まぬ、辺境の
ガタン、ゴトン。石畳を駆ける車輪の音が、やけに頭に響くわ。「……で?」 向かいの席に座る、我が腹黒執事に向かって、わたくしは非難の声を上げた。「で、とおっしゃいますと?」「どこで油を売っていたのよっ! わたくしが、どれだけ大変な目に遭ったと思っているの!? 危うく、人生が、終わるところでしたのよ!?」「逆に、こちらもお聞きしたいのですが。待つようお伝えしたのに、なぜ、殿下の研究室から、わざわざご移動しようと?」 ……沈黙。 あ、これ、知ってるわ。わたくしの軽率な行動を、ねちねちと責められるパターンのやつだわ、あわわわわ!?「あー。……まあ、今回は、特別に、大目に見て差し上げてもよくってよ?」「まさかお嬢様は“待て”すら出来ない、やんちゃなお子ちゃまでいらっしゃいましたか?」「違うもん! あなたが、あまりに遅かったのが悪いんだもん!」「結果として。お嬢様の行動は、王立アカデミー附属図書館の|魔術警報《セキュリティ》に穴を開けたと同義なのですが、ご自覚は?」「はうっ!?」 そうなのよ。わたくし、隠し通路から、脱出しようとした訳だけれど……。 なぜか、区画の警備魔術が、一時的に、ごっそり解除されてしまっていたんですって!「あれって……やっぱり。わたくしの、せい、かしら?」「他にあるわけがないでしょう。おそらくは、王族の緊急避難通路を、不用意に起動した不具合でございますね」 スパッと言い切られた。うぐぐぐっ。「襲撃犯たちは、お嬢様の作った穴をまんまと利用し、殿下の研究室へ辿り着いた、と。よくぞまあ、侵入者を“手招き”しておいて、皆様にバレずに済んだものですね?」「いやぁあああっ! 言わないで、イヅル! なにも聞きたくないぃぃぃっ!」 ああっ、すべてが――わたくしのやらかしっ! 幸い警備体制を解除







